tommy_0’s blog

自己紹介

問題に名前を付けよう

日常は問題の連続。仕事でもプライベートでも様々な問題がある。その際にきっと役立つのが今回紹介する本。きっかけは、昔の上司に勧められて(まさに本書の内容を実践している問題解決の上手い方だったな)

本書でも触れられているように、本書の内容を理解できてもそれを実践できるわけではない(何でもそうか)。つまり、何度も失敗して立ち返ってを繰り返す必要があって、そのためには簡単に見返せるように整理しておきたい。というわけで整理した。

マインド

ノウハウどうこうの前に大切なマインドについて、訳者前書きに書かれていたので、印象に残っている部分を抜粋した。

... 訳者は世慣れない方で、ここに書いてあるようなことでしょっちゅう失敗する。この本を訳したいと思い続け、深読みを繰り返したお陰で、近ごろ少し失敗が少なくなったような気がしている。 本の副題にあるように、問題発見についての本である。学校では問題を解くことを教わる。だが問題は、解くより発見する方がずっとむずかしく、ずっと面白い。実人生で本当にものをいうのはそこなのだ。 ...

「だが問題は、解くより発見する方がずっとむずかしく、ずっと面白い。実人生で本当にものをいうのはそこなのだ。」という言葉、とても大切なことだと思う。

サマリー

ざっくり本書の要点を抜粋すると以下かなと。

  • まずは問題を定義しよう
    • 問題とは「認識と欲求の間のズレ」である
    • 「問題を抱えているのは誰ですか?」「あなたの問題の本質は何ですか?」を明らかにした上で言語化する
  • その上で、問題を解決しよう
    • 具体的には「認識と欲求の間のズレ」をなくす
    • 問題解決によって、今ある問題をより小さい問題に変えていく
  • 順応している状態を認識しよう
    • 自然と状態に順応していくと問題として認識できなくなる
    • 自分がある状態に順応していることを認識する

問題とは

普段生活していて、ふと「何か問題を抱えているなあ」と思うことは多々ある。自分が問題を抱えていることを漠然と感じるのは容易だが、「何が問題なのか」を明確にするのはその限りではない。

問題とは「認識と欲求の間のズレ」である。

認識と欲求の相違は至るところに存在する。一つも問題が思い当たらないように思えても、認識の感度を少し高めれば様々な問題が見つかる。例えば、「家の中が寒過ぎる」という認識に対して、「暖まりたい」という欲求が存在する(一定数の問題は感受性を下げることによって認識されなくなる)。

問題を定義する

ある種の訓練によって、最初に現れた「問題らしきもの」に飛びつくという習性を身に付けてしまっている。未熟な問題解決者は、解くべき問題を定義する前に、それらに飛びつき、急いで掘り下げ、苦い結末に辿り着く。経験を積んだ問題解決者であっても、社会的圧力にさらされると、この誘惑に負けてしまうことがある。解答はたくさん見つかるかもしれないが、それが解くべき問題の解答だという保証はない。問題があって初めて解答が存在する。解決方法を問題の定義と取り違えてはいけない。問題解決で急ぐことは間違いの元になるが、問題定義で急ぐことは厄災の元になる。

一方で、いつまでも何とか問題を定義しようとして堂々巡りしてしまい、問題定義は間違っているかもしれないが解答を出してみよう、という勇気が出ない状況は好ましくない。ここでのポイントは、ある問題を曖昧さを含まないただ一つの形に定義することではなく、問題について何かしらの共通理解を掲げることで、間違った問題に対する解答を出さないようにすること。そもそも問題の絶対的に正しい定義(究極の解答)は存在しない。大切なのは、その確信を持つための営みを継続していくことであり、その時点の前提を踏まえて都度問題定義していくこと。

具体的には、以下を明らかにした上で、問題を言語化する

  • 問題を抱えているのは誰ですか?
  • あなたの問題の本質は何ですか?

問題を抱えているのは誰ですか?

本書で紹介されている「エレベーター問題(簡単に言うとエレベーター待ちが多くて困る問題)」について考えると、即座にいくつか具体的な解決策が浮かぶ。ただ、その時に注意すべきは、無意識のうちに「エレベーター利用者の問題」として捉えていることである。仮に「ビル所有者の問題」として捉えてみるとまた解決策は異なってくる。

エレベーター問題において、誰の問題として捉えるかによって、少なくとも 3 つの問題として考えられる。

  • 労働者の問題として捉えるなら
    • エレベーターの待ち時間が長いことによる苛立ちを最小限にするにはどうしたらいいか
  • ビル所有者の問題として捉えるなら
    • 利用者からの苦情を解消するにはどうしたらいいか
  • 入居会社の関係者の問題として捉えるなら
    • 従業員からの労働結成の脅しを解消するにはどうしたらいいか

誰の問題として捉えるのか決める必要がある。

あなたの問題の本質は何ですか?

この問題はどこから来たか?を問う。

問題の原因を「自然」に委ねてしまうと、問題解決に関する手掛かりが掴めない。それは自然(本性/摂理/etc)なことだからどうしようもない、という気持ちに陥り、それ以上の検討が行われない。問題の原因を人やものに向けられれば、問題を解決したり軽減する方法を検討することができる。問題を自然の領域から引き出して、建設的な思考と行動に移すこと。

本書で紹介されている「ビザ問題(ビザに関する役人とのやり取りが上手くいかない問題)」において、問題を官僚主義のせいにしたい気持ちが働くのは自然なことだった。彼女は役人に慣れていなかったため、相手の不作法さからパニック状態に陥り、何もかも官僚主義のせいにしようとしていた。あれこれと思考を巡らして挑戦的な姿勢を取り、自分自身が問題の源泉となっていた。そのことに気付いた彼女は、自己開示を行い相手に礼節と敬意を持って接した結果、単に役人に複写してもらうという解決に到った。

問題を解決する

問題解決とは、「認識と欲求の間のズレ」をなくすことを指す。大抵の問題は、その問題が何であるのか分かれば、それを解決することは難しくない。

エレベーター問題について考えてみる。あるビルのエレベーターの待ち時間が長く、それに伴い様々な人々にとっての問題が起きている。仮にエレベーター利用者の問題として捉えると、認識とは「エレベーターの待ち時間が長い」ことになる。この相違を埋めるための方法として、「実際にエレベータの待ち時間を短くする」「時間を長いと認識させないよう暇潰し用コンテンツを用意する」などが考えられる。

様々な制約を取っ払って解決策を検討する。実現性や倫理的な問題があったとしても、それが思わぬ形で実現できるかもしれない。エレベータ問題では、後日談として、一見現実味のないと思われた解決案(「ビルを燃やして保険金を受け取る」「隣のビルからエレベーターの運行時間を盗む」)が、もしかしたら隣ビルとの連携で実現できたかもしれないことが分かる。ここでのポイントは、物事を柔軟に捉える姿勢を持つこと。

問題は認識と欲求の相違であるから、ある問題を解決してその状態を変えると、一つ以上の別の問題を発生させる。問題と解決、そして新しい問題は終わりのない連鎖を織り出している(決して問題を追い払うことはできない)。期待できるのは、解決した問題がより小さい問題に置き換えられること。ある問題について、その解決によってどのような問題が起きるか考えることで、よりその問題の理解を深めることができる。

状態に順応すること

ある状態に順応することによって、環境の中の不変部分が打ち消され、生活は単純化されていく。人が問題について考える時、順応したことは考慮から除外される。

そして、ある問題解決によって、順応した要素が変化して初めてその影響を把握する。医療が発達して老人の人口が増えるという副作用に驚くのは何故なのだろうか?

自分達が順応している状態、無意識に泳いでいる「水」を見ようと努力しなければならない。

まとめ

本書を読んでから気を付けていることがある。何か課題に取り組む時、自然とその事象に対して「〜問題」と名前を付けるようにしている。名前付けすることによって様々なメリットがあって、例えば、その事象をより自分事にできたり、また関係者間の共通言語となってコミュニケーションコストが下がったりする。人VS人という構図ではなく、人VS問題という姿勢で物事に取り組みたい。

また、ある状態に順応して問題が認識できなくなる話は、思い当たる節がある一方で、実際にどのように改善していくかは難しい。自分の解釈としては「慣れ」によって良い面もあれば悪い面もあるという話で、具体的には鈍感になっていく。日々の中で感じる「違和感」を曖昧なままにせず、言語化することをやっていこう。

そして井戸は見つかる

言わずと知れた名著なので、一度は読んだことあるかもしれない。自分にとっては、この本には特別な思いがあったりする(それは胸の内に)。

改めて読み返すと、日々を過ごす上で大切なことが多く記されているように感じた。仕事であってもプライベートであっても通じるものがあるように思う。必要なタイミングで振り返れるようにポイントを整理してみた。

バオバブの種に気を付ける

王子さまの惑星には良い草と悪い草があり、それぞれに種がある。もし悪い植物とわかったら、すぐに抜いてしまわなければならない。特にバオバブの種には気をつけないといけない。バオバブの処理を先延ばしにすると、取り返しのつかないことになる。バオバブは抜くのが遅くなると、星全体を覆い根が星を貫通し、最後には星を破滅させてしまう。

そうならないために、日課として、毎朝、星の身繕いを丁寧にしてあげればいい。バオバブだと分かったら、きちんと抜く。手間は掛かるけど、とても大切なこと。

重要なこと

「トゲは一体何のためにあるの?」

飛行機の故障が予想以上に酷いことが分かり、最悪の事態を考えていた最中の質問だった。それどころではないと適当にあしらい返事もせず、最後に「他に重要なことを考える必要があるから」と言い放った。

花はもう何百万年も前からトゲを生やしていて、それでも羊は何百万年も前から花を食べている。なのに、どうして花がトゲを生やしているのか考えるのは重要でないのか?もしも、誰かが何百万の星の中の一つの星に咲く花を愛していたら、その人は夜空を見上げるだけで幸せになれる。でも、もしその花が食べられて、その人にとって全部の星の光が消えてしまうことは重要ではないのか?

言葉と思い

王子さまの星には、一輪の美しいバラがいた。バラはあれこれとお願いしては文句を言い、王子さまは愛する気持ちがあったにも関わらず、徐々にバラのことを信じられなくなっていった。バラの言葉を真に受けては辛い思いをした。そして、王子さまは、バラを残して星を後にした。

後になって、王子さまはバラの存在の大切さに気付く。バラは王子さまの星を良い香りで一杯にしてくれたし、星全体を明るくしてくれた。バラの言葉ではなく、バラの振る舞いで物事を判断すれば良かった。嘘かもしれない話も、うんざりして聴くのではなく、もっと優しい気持ちになってあげるべきだった。あの小細工の陰に隠れた優しさを察してあげられたら。

酒浸りは瓶を開ける

ある星には酒浸りがいた。そこには、たくさんの空の瓶と酒の入った瓶があった。酒浸りは、酒を飲むことを忘れるために酒を飲んでいた。そして、また酒を飲むことを忘れるために瓶を開ける。

逃げるだけでは、時間が解決してくれない問題もある。自分自身で問題を増大させてしまうと、いとも簡単に悪循環に陥ってしまう。そうならないためには、まず現状を肯定してあげる必要がある。そして絡まった糸を丁寧に一つずつ解いていく。

ビジネスマンは忙しい

ある星にはビジネスマンがいた。自分は重要人物であり、仕事が山積みだから、くだらぬことに関わっている時間はない、と王子さまを一蹴する。ビジネスマンはひたすら星の数を計算していた。それによって、星を所有することが出来て金持ちになれる。そして、さらに星を買うことが出来る。

王子さまは毎日バラに水をあげたり、週に一回火山を掃除することで、バラや火山の役に立っている。一方、星を運用することで誰の役に立っているのか。本来は誰かの役に立つために仕事をする。そこを見失うと、酒浸りの理屈と同じ道を歩むことになる。

点灯夫は今を繰り返す

ある星には点灯夫がいた。その星はとても小さかったため、点灯夫は一分毎に点灯と消灯を繰り返していた。今までの星で出会った人とは違い、点灯夫は自分以外の誰かの世話をしていて、つまりその仕事には意味があった。点灯夫が点灯を点けることで星が一つ生み出され、点灯を消すことで星が眠る。

惑星が年ごとに前より速く回るようになったが、点灯の規則は変わらない。自分を取り巻く環境が変わっていく中、盲目的に規則に従う結果、休む暇が無くなり消耗している。何かしらの仕組みの中で人は仕事をする。仕組みの変化に応じて、自身の行動も変えていかないと、そこに軋みが生まれる。毎日同じことを忠実に継続することは大切である一方、その目的は捉えつつ手段を改善すること。

キツネは”なつく”

地球で一匹のキツネに出会う。そして、”なつく”ことについて教わる。それは、絆を結ぶということ。絆を結ぶまで、キツネにとって、王子さまは他の十万の男の子と何も変わらないし、別にいなくてもいい。でももし絆を結めば、互いに無くてはならない存在になる。キツネにとって王子さまは、世界で一人だけの男の子になる。パンを食べないキツネにとって、以前は何ともない麦畑が金色に輝いて見えて、王子さまの金色の髪を思い出す。そして、麦畑を渡っていく風の音まで好きになっていく。仮に別れが訪れても、麦畑を見れば王子さまがこちらを見て笑っていて、いつか悲しい気持ちが去ったら、王子さまに会えたことを良かったと思えるようになる。

それは実際に絆を結ばないとわからない。現代は時間がなくなり過ぎて、何もわからないでいる。お店では、出来上がったものを買うことしか出来ない。絆を結ぶために大切なのは、忍耐と時間。最初は少し離れて座っていて、時間をかけて日毎に少しずつ近くに座るようにしていく。言葉は誤解の元になるから何も言わずに。

肝心なことは目で見えない、ものは心で見る必要がある。地球にある多くのバラと、王子さまの星にあるバラは、自分にとって異なる存在だった。なぜなら、王子さまが水をやったのは、ガラスの覆いをかけてやったのは、衝立で守ってあげたのは、毛虫を取ってあげたのは、文句言ったり自慢をしたのは、時々黙り込んでいるのに耳を傾けてあげたのは、あのバラだったから。王子さまのバラをかけがえのないものにしたのは、王子さまがバラのために費やした時間だった。

そして井戸は見つかる

飛行機が不時着して一週間が経つ中、サンテグジュペリは修理を続けていた。持っていた水を飲み干し、修理が完了していない状況に焦りを感じていた。事態を把握していない王子さまの語りかけに苛立つ中、水を求めて井戸を探すことになった。

王子さまは話を続ける。大事なものは、目に見えない。星々が美しいのは、ここからは見えない花がどこかで一輪咲いていると思うから。同じように、砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているから。人は特急列車に乗っているのに、何を探しているのかわからずに、忙しく動いたり、同じところをぐるぐる回ったりしている。そんなことしなくていいのに。一つの庭園に五千もバラを植えているのに、探しているものを見つけられない。それは、たった一輪のバラやほんの少しの水のなかにあるかもしれない。目で探すのではなく、心で探さないと。そうして歩き続けていると、井戸を見つけることができた。それは普通砂漠の中にある井戸とは違って、村にある井戸のように滑車も桶も綱も全部揃っていた。

日常では様々なことが起こって、こんな綺麗事を言っていられないという場面はある。けれど、そんな場面にこそ、これらのノウハウが活かせるように思う。ついつい問題に囚われがちだけど、そもそもそれは問題なのか、という視点を与えてくれる。探しているものは、見方を改めることで思わぬところにあるとに気付く。

終わりに

まずは、一つ動画を紹介。

【前田裕二】 卒業生・社会へ挑戦する人たちへ(5Speech. 4/5) - YouTube

星の王子さまを題材に、コロナ禍で捉え直した時間の意味についてのスピーチ。 「時間は命である」という言葉の捉え方が変わると思う。もし良かったら覗いてみると、新たな気付きがあるかもしれない。

もう一つは、本書の訳者の後書きを読んで。

自然に対して働きかけ、その過程を通じて真理の断片を得る。 書斎で黙想する哲学者ではなく、外に出て働きながら考える思想家。 これが彼の生き方の基本姿勢であり、だから彼はパイロットという職業を持つ文学者になった。 飛ぶことを通じて得たものを文学に持ち込んだ。

そしてしばしば自分を農夫になぞらえた。空を開拓し、この広い畑を世話し、そこから収穫を得る。 ... 「王子さま」はバラの世話を通じてバラを愛するようになる。 すべてはこの働きかけから始まる。 この自然への積極的な姿勢をこそキツネは「飼い慣らす」と呼ぶのだ。

頭だけではなく身体で体感したことだからこそ、その言葉に重みや深みが出ているように感じた。また、バラやキツネはあくまで具体例の一つであって、その対象は置き換え可能であり、きっと重要なのは、それらに対する姿勢、具体的に言えば「相互作用的な働きかけ」なんだろうなと。

自分の脳を躾ける

一時期サウナにハマっている時期があって、サ道というマンガを読んでいた。

その作者が似たような表紙で別マンガを出していて、試しに読んでみたら

とてもためになる内容だったので、印象に残っている部分を整理してみた。

自分の脳を躾ける

本書で一貫しているテーマは「自分の脳を躾ける」ということだ。

最新の認知科学の分野では、意識は自分の中心にないと言われているらしい。私たちの行動は意識が先にあるわけではなく、脳の判断が先にあるらしい。意識的に何かをしたと思ってもそれは錯覚で、全ては脳(無意識)が動かしている。自由意志はなくて、全て脳の自動操作によるものであり、脳は色んな情報をかき集め、意識下で何かを決定している。

脳は気持ちのいい方、つまり報酬のある行動を求める。ある行動、例えば早起きで考えてみよう。早起きが習慣化されて、「早起き=気持ちがいい」という脳の神経ができ上がれば、脳はその快感物質が欲しくて、また私たちに早起きさせる。

本書では、いくつかのメソッドが紹介されている。その根底にあるのはこの報酬・行動の仕組みであり、この仕組みを作っていくことを「自分の脳を躾ける」と表現している(と思う)。脳は報酬を得るために自然と行動するようになる。意志の力に頼らず物事が進んでゆく。

自分の頭で考えて、自分の脳を躾けよう。

快適さを求めて

「快適な一日を過ごしたい」

著者は人生において「快適さ」を求めて試行錯誤してきたと言う。快適とは「無理をせず我慢をせず適度に心地よく生きていくこと」を意味する。

与えられた人生で、どれだけ途切れなく気持ちのいい時間を作り出せるか?健康が大事それは前提として、創作の意欲も大切だ、気分が優れないと当然筆は進まない。どうすればいつも機嫌よく創作に没頭できるか?

いつも適度に仕事があって、マイペースで仕事ができて、余裕を持っていい感じに暮らしていきたい。締め切りに追われるような忙しいマンガ家にはなりたくない。快適に創作できる条件、心構えとは?やりたくないがどうしても引き受けなければならない仕事や義理、依頼を受けるか断るか、長い目で見て、どちらが快適か?迷いながら試行錯誤してきた。

著者はマンガ家としてデビューして35年を生き長らえてきた。締め切りに追われていない、仕事が全くなくなるわけでもない。悲劇の沼にはまり、心を病んで消えていった仲間もいた。運も良かったのだろうし、周りの人にも支えられたのだろうと思う。

長年快適を志す修行をしてきたとも言える。その結果として、快適術のようなものを身につけ、日常生活や仕事の中で細かな快適スキルを応用し実践している。どこまでも快適さを求めて辿り着いたのが、本書で紹介されているルーティンだ。

ルーティン

一言で言えば、朝型の生活だ。

大まか流れとしては、朝4時に起床、昼までタスク、午後からはサウナへ行き仲間と会話して、夕方には帰宅し、21時には寝る。

朝窓を開けると、虫や鳥の鳴き声、気温、湿度、風、季節の香り、朝には五感の喜びがある。

顔を洗い、コーヒーを淹れる。

その間に部屋の床を簡単に拭き掃除、植物に水をやり、パソコンの前に座って、今日やるべきことを確認する。

夜が明けてくる、日の出を拝んでから、好きな音楽をかけてコーヒーをいただく。

朝はエネルギーに満ちて、爽やかな気分、このひとときが気持ち良い。

徐々に仕事モードに移り、起床1時間後にはガシガシと原稿を描く。ここから2,3時間が1日のうちで一番仕事が捗る時間(特に起きてからの2時間は集中力が高まる時間=脳のゴールデンタイム)になる。

適度に休みをとりながら昼まで仕事をする。

やるべきことをやったあとは気持ちはスッキリしている。するべきことを全てこなせた達成感、自分で決めたことを守れた自己肯定感。

心が安定していれば仕事も捗る。以前の夜型の生活と比較して、仕事の効率が格段に上がったのを実感している。

毎日これの繰り返し。

時間管理を徹底する

若かりし頃は、やる気に支配されていた。創作意欲ややる気がないからと後回しにした結果、ツケが回って一気に作業して疲弊する。そして、また次の創作意欲が回復するまで休憩して待つ。やる気というものはどこからやって来て、どこへ行くのだろう。掴み損ねると大変な目に遭ってしまう(誰しも課題を土壇場になって片付けた経験があるのでは?)。その頃の私は、創作というものはやる気や意欲を持って立ち向かうものだと思っていた。

今はそんなふうには思わない。創作はやる気や意欲に振り回されるものではない。そんなものがなくたって創作はできるし、余裕のある余暇も作ることができる。やる気があろうがなかろうが、やるべきことはやらないといけない。根性で乗り切るしかないというのは古い考え方で、習慣化に任せてしまう。毎朝歯を磨くように自動運転させる。

やる気はとりあえず無視して意欲があろうがなかろうが、時間を決めて時計仕掛けの人形のようにやり始める。やり始めてしまえば後からやる気のようなものが湧いてくる。やってみる→後からやる気がついてくる、作業興奮という脳の仕組みがあるらしい。

1日にやるべきことはたくさんある。やる気に任せて思いついた順にやっていると、1日があっという間に終わってしまう。それまでやる気や意欲を利用して行ってきた作業を、時間管理の作業に切り替える。やるべきことを全部書き出して、予めやり始める時間と作業イメージを決めて、少し余裕を持った1日のメニューを作る。気分に任せず、とにかく時間管理を徹底する。

そしてこまめに休む。2,30分に1回は席を立ってストレッチ・軽い運動をすると、血が巡って脳に酸素供給、気持ちをリセットするとまた新しい気持ちになって作業が始められる。ノってきたところだけど時間が来たから切り替える。この作業終わらせたいけど、時間が来たから次のタスクへ。ついつい没頭して時間をオーバーしてもやってしまうと、その後のタスクに影響してしまう。

創作の継続や達成などの成果は、やる気や根性でなくて、時間に支配されて、ただやり始める毎日の積み重ねによって実現される。ただいつも通りやるべきタスクを静かに淡々とこなす。習慣化されると毎日がブレない、コンスタントな創作で成果物は確実に蓄積される。そしてちゃんと締め切りに間に合う。やり終わったという達成感で報酬系が刺激され、脳はさらにそれを繰り返そうとする。

世界を定点観測する

同じ毎日なんて、やがて新鮮味を失い窮屈に感じる、ということはない。

自分を固定すれば、周囲の目まぐるしい変化に気づく。毎日同じような日々を過ごすことによって、これまで気づかなかった世界が広がってゆく。起きる時間を固定すると、例えば、日の出の時間が毎日少しずつずれて、外では新芽が展開し、気温・湿度ともに変化していくのがわかる。人生でこれほど季節の移ろいを感じたことはない、環境の目眩く変化に気づいた。

時間管理の適切さ、折目正しい時間管理の1日、実は自然がそうなのだった。例えば、桜の開花予想ができるのは、桜が気温によるある一定の開花メカニズムを持っているから。寒い季節でも桜は来年咲く花便の準備をしている。自然はランダムに見せかけて、意外ときっちりとした時間感覚を持っている。

毎日をルーティン化すると、体調の変化もよくわかる。例えば、なんかだるいのは、いつもより遅い時間に食べたからだなとか。

自分を固定した方が世界の変化がよくわかり、生活の実感がある。それはまるで定点観測をしているかのようだ。目に見える変化を感じる、これこそ変化のある毎日とも言える。

「やっていれば上手くなる」の法則

私たちにはやっていれば上手くなるという仕組みが備わっている。人間の成長に必要な能力のことである。差こそあれ大方のことはやっていれば、やり続けていればできるようになる。最初は乗れなかった自転車に、練習を重ねることで乗れるようになる。上手くなれば気持ちいいし、達成感もある。

スポーツやデザインもできるようになったものは、なんとなく最初からできるイメージを持っていた。ギターはある程度弾けるイメージを持っていて、実際にそうなった(逆に仕事にできるイメージは持っていなかった)。イメージが大切らしい。

例えば、人生いちどは本物のオーロラを見たいと思う。いつかはオーロラを見てみたい、そんな素朴な願いを叶えるために、「イメージすること」が重要である。願うだけではダメで、もっと具体的にアプローチする。どうすれば見れるのか、どこへ行けば見れるのか、費用はどのくらいかかるのか。具体的にしていく、積極的に自分から動く、まずは調べること、少ない時間でもいいから。その取り組みの積み重ねが無意識に刷り込まれて、オーロラに関する情報をキャッチしやすいように脳を躾けていく。躾けられた脳は街に溢れる数多の情報から、オーロラに関する情報、例えば格安チケットの情報を見つけ出すかもしれない。脳は注意を払うものに対して、フォーカスする働きがある。脳の力を活かすには、願いを「曖昧なまま」泳がせておくのは勿体無い、具体的にすること。毎日少しだけでも自分の素朴な願い、望むべき未来を「具体的」にすることが大事。

やり続けていることは結果に現れる。できるようになったらいいなあと思いながら、ただただ毎日やり続けたことだけができるようになった。きっとそれがこの世の中の仕組みだ。あらゆる専門の人間はただただやり続けた人たちであり、それが世界のヒーローになったり、国の宝になったりする。困難を乗り越えてできるようになった喜びはひとしおだろう。好きなことをする、できるようにする、それが人生というものに向かい合う尊い人の姿ではないだろうか。

終わりに

規則正しさは直観的には「自由」と結びつきにくい。決まった時間に寝て起きるより、眠くなったら寝ればいい、お腹が減ったら好きなだけ食べればいい。そんな気ままな暮らしが「自由」な気がしてしまう。けれど、ここまでの話を踏まえると、自らをもって由とする、自分で行動を決めるのが「自由」と捉えられるのではないだろうか。決めた行動は続けるうちに習慣となり、やればやるほど淡々とできるようになっていく。そんな最中にふと、本当にこれでいいのか?と自身に問うことがあった時は、自分の未来を自分で切り拓き創造している、そんな人生の手応えを再認識して日々をやっていこう。

例えば 22 時に寝ると決めてみる

↑を読んで印象に残っている箇所を整理してメモしました。

「ぐずぐず脳」とは「日々が思うように進まないこと」を意味していて、それを解消するためにやるべきことが説明されています。

気になるところがあれば、ぜひ一読することをオススメします。

前提

具体的に行動を改める前に、その前提として理解しておくべきこと。

人生を豊かにする最大の秘訣

無意識の回路を整えて潜在意識に身を委ねること。

脳神経回路のほとんどは、顕在意識ではなく潜在意識の中で使われる。例えば、カクテルパーティ効果など。ネガティブ回路の持ち主は、顕在意識の選択の前に、既に「うまくいく事象」を見逃している。意識的につくるポジティブ思考ではなく、何でもない生活習慣が大事になってくる。

脳はいくつかのホルモンによって影響を受ける機能であって、必要なホルモンが出ていれば、好奇心は勝手に湧いて止まらないし、今日もいいことがありそうな気がすると思えるし、誰にほめてもらえなくたってもめげない。脳を活性化するために特に重要なのは、メラトニンセロトニンノルアドレナリンドーパミン。逆に、これらの ホルモンが出にくい脳では、とにかく頑張らなければ生きられない。好奇心が自噴しないから、他人の価値観に頼り、人から見た「優等生」を人生の目標とし、他人に評価されないと気持ちが萎えてしまう。

脳に良いことを強制しないこと

「スッキリ脳(発想力に優れ、たくさんの成果を出して、異性にもモテる)」が「ぐずぐず脳(どんよりしてて、とりあえず言われたことを疑いもせずにやり、おっとりと暮らす)」に勝っているとは言えない。

後者の脳にしかできないこともある。

本人が幸せならそのままでいいが、そのことで人生に不満が生じているなら改めるべき。ここで説明するテクニックに疑問を呈するのも自由。現状で満足しているのだとしたら、元々が優秀な脳なので、脳神経回路の働きが半減しても問題ないはず。

脳は誰よりよく知っている

7日間プログラムを遂行した前提で、それでも満たされない時は、他の指南書に手を出す前に確認して欲しいことがある。

今の自分から抜け出したいということは、要は「今の自分を愛せない」とういこと。自分の理想を掲げて、それを達成できたら自分を愛せると言う人には、実はゴールがない。結局の所、自分のことを信じられないと、拠り所を他者に求め続けることになる。自分より優れている人が気になって、常に心が渇望することになる。

他者をとことん愛することだけが、愛に充足する方法。「何をしてもあなたは私を裏切らないよね」と、自分も他人も信じることが出来ず、目の前の損得勘定に囚われている限り、愛は手に入らない。自分が誰かの弱点も含めて愛し抜ければ、世間もそういうものだと思える。「こうすれば愛する」なんて条件をいっさい設けず、弱点を弱点のまま愛する。裏切られても裏切られても愛することで、「裏切られても裏切られても存在する愛」があることがわかる。

22時に寝る

脳は眠っている間に進化している

目に光が入らなくなり、視神経にストレスがなくなると出てくるホルモンがある。意識領域の信号を鎮静化させる「メラトニン」。メラトニンは、今日一日の出来事から知恵やセンスを切り出して、脳神経回路に定着させる。例えば、今日まで出来なかったドリブルができるようになったサッカー少年。起きている間は筋肉の単純記憶に過ぎないが、眠っている間にその共通項をくくり出してセンスに昇華する。

つまり、眠っている間に、失敗しにくく成功しやすい脳に変わる。

失敗して痛い思いをすれば、その晩、失敗に使われた回路の閾値が上がり通電しにくくなる。成功して嬉しい思いをすれば、その逆が起こる。ここで注意しなければいけないのは、落ち込んでいる時、長い時間その原因を追及したり反省したりするとその失敗回路が形成されてしまうこと。リスクヘッジのために少し思い返す分には問題ないが、ありありと何度も思い返すのは危ない。例えば、ゴルフで「あのとき、あ~チョロったから、あの振り方はやめよう」なんて思い返したとき、同じようにチョロってしまう確率は確実に上がる。

メラトニンは、おおよそ22時から2時の4時間に分泌加速時間を迎える。また、同時刻に分泌最盛時間を迎えるのが成長ホルモン。細胞の新陳代謝を司るホルモンで、美肌やしなやかな筋肉や骨を作る。この両ホルモンをしっかりと分泌するために、22時には眠るようにする。

メラトニンをしっかり出すために

寝る1時間前に甘いもの・アルコールを口にしないこと。脳の活動は、意識活動も無意識活動もすべて電気信号でまかなわれている。その電気のエネルギーとなるブドウ糖は、血中を血糖というかたちで運ばれ、脳に届けられる。疲れているときやストレスを感じると、脳は「甘いもの食べて早く血糖値を上げて~」という命令を送ってくる。例えば、誘惑に負けて22時に甘いものを口にすると、30分から1時間ぐらいで血糖値が上がり、そのせいで脳が無駄に元気になってうまく眠れなくなる。午前1時頃やっと眠れたあたりから、それに触発されたすい臓が血糖値を下げるインスリンを過剰分泌する。糖質のせいで血糖値が乱高下することにより、脳が真夜中のホルモン分泌に失敗してしまう。

寝る1時間前に携帯端末の画面を目にしないこと。鮮やかな精密画面を手元でスクロールする際、視神経にはストレスがかかっている。人類の歴史と比較して携帯端末が普及してからの歴史は浅く、まだ携帯端末による影響に身体が順応していない。携帯端末の凝視による影響は、それをやめて本人が眠りについた後でさえ、長い人で1時間に及ぶとも言われている。

入浴を行い湯船に浸かることで、メラトニンの分泌量が増える。副交感神経優位になるとメラトニンの分泌が促されて眠りに誘われる。神経系には、興奮系の交感神経と、鎮静系の副交感神経の2系がある。副交感神経が優位になると、体内深部温度が下がり手足が温かくなり、逆もまた真であることがわかっている。湯船に浸かったり熱めのお湯のかけ流しをすると、体表面の温度が一気に上がり、脳は危険を感じ体温を一定に保とうとして、体内深部温度を下げる命令を出す。その結果、副交感神経優位になる。

眠る前のルールを決めてリズムを作る。脳には「ある動作を繰り返してきた場面と同じ神経信号の状態をつくる」という癖がある。例えば、羽生結弦選手は、リンク脇のコーチの前から氷上のスタート位置に着くまでに、練習時と同じ軌跡を辿ることで、練習時と同じ平常心の脳神経状態を誘発させている。何万という観衆の興奮のるつぼにいても、練習時のような穏やかな集中力を取り戻せる。睡眠に入る際にも同じことが言えて、脳が寝る前のルーティンを持っておく。

部屋は暗くして寝ること。目に当たる光の量がゼロに近くなったとき、メラトニンや成長ホルモンが出る。視神経とホルモン分泌には、密接な関係性がある。ホルモン分泌の中枢司令塔は視神経に隣接しているため、視神経の緊張が直接伝わる。寝る際には、目(まぶた)に直接光源が当たるものは遮断すること。例えば、天井の豆電球、DVDやオーディオなどの電光表示も、顔の前にはないほうがいい。また、窓の外の街灯やネオンサインが部屋に入る場合は、遮光カーテンなどを使ってしっかり遮断する。

明日何時に起きるか、念じて寝る。念じて眠ると、結果睡眠の効率が良くなる。神経系には、体内時計と言われる機能があって、24時間をおおまかに計っている。脳は、その時間までに効率のいい睡眠ができるよう睡眠を進める。毎日同じでなくても、いくつかのパターンを身につけておく。例えば、休日と平日など。

5時に起きる

朝と夜の両輪により、脳は進化し続ける

脳はメラトニンが働きかける対象を取捨選択をしている。ある出来事に対して穏やかな情感を覚えると、夜それは知恵やセンスに変わる。「しみじみしたり、へぇと思ったり、ほっとしたり、ふんわりしたり」して心が動いた時にフラグが立つ。喜怒哀楽すべての方位にそのように振る舞えれば、悔しさも悲しみも生きる知恵に変わる。この穏やかな情動を誘発するホルモンが「セロトニン」。網膜が朝の自然光を感知すると分泌される。眠りへと誘うメラトニンとは反対に、セロトニンは目覚めをもたらす。別名「天然の抗うつ剤」と言われる。朝起きると「今日もいいことがありそう」と嬉しくなるのは、セロトニンの効果。セロトニンがよく分泌されている脳は、一日中穏やかな情感をもたらすため、幸福を実感しやすくなり意欲が萎えない。セロトニンのもたらす充足感的「やる気」は、結果にも他者にも依存せず、自噴してくる充足感に支えられてプロセスそのものが楽しめる。ひどくはしゃいだり、落ち込んだりすることが減り、キレにくくなる。特別な才能や目立つ何かがなくとも、まわりの人に信頼感を与えて一緒にいたいと思わせる。そして、幸福そうな人は、結果多くの成果を手にしていく。一方、闘争心から生み出される「やる気」は、火事場のバカ力的な瞬発力はあるが乱高下しがちであり、結果に振り回されるため評価されない限り続かない。

セロトニンの生産とメラトニンの生産は関連する。メラトニンセロトニンは、同じ前駆体(生成前の物質)からつくられているホルモン。網膜が闇を感じるとメラトニン、光を感じるとセロトニンに変わる。朝セロトニンが脳内にあふれてから、平均15時間後にメラトニンの生産が始まる。6時頃に網膜に光が当たると、21時頃にメラトニンの増産が始まることになる。メラトニンは知識工場のスイッチを入れ、セロトニンはその知識工場に資材を送り込む。つまり、朝きちんとセロトニンが出ていないとメラトニンがうまく出ない。なので「夕べ遅かったから、今朝はゆっくり」とは発想しないこと。

セロトニンをしっかり出すために

軽く行える定番運動を決めて習慣にする。身体を動かすことによってセロトニンが増える。また、有酸素運動によって分泌されるのが「ドーパミン」と「ノルアドレナリン」であり、これらによって好奇心と集中力を培われる。有酸素運動によって、大きく変化するのは、脳の血流量。血液の量が増えれば、血液に含まれる酸素や脳のエネルギーであるブドウ糖もたくさん運ばれる。脳を良くするためには、好奇心と集中力が不可欠。好奇心がないことには、単純記憶はつくれても、センスはつくれない。好奇心を誘発するドーパミンと、その好奇心を一つに絞り込むノルアドレナリンが同時に出ることが重要。ドーパミンだけだと様々なものに目がいき多動気味になってしまうところ、ノルアドレナリンによって他の雑信号を抑制してくれる。

また、手作り料理/ヨーグルトを取り、腸内環境(脳内環境)を整えることも大切。セロトニンは、その95%以上が腸内でつくられ、脳に送り込まれている。 便秘や下痢を繰り返しているようでは、セロトニン分泌も期待できない。腸内環境を良くするのは乳酸菌であり、これらが食べ物を分解して栄養に変える。工場で完璧な衛生状態で作られる食品には乳酸菌も混じる隙がないので程々に。また、朝食は卵がオススメ。卵は、脳が必要とする栄養素を、ビタミンC以外、すべて含んでいる完全栄養。黄身の主成分はレシチンコレステロールでこれは脳の材料であり、白身には豊富なアルブミンアミノ酸の一種)が含まれている。

ブレーキ言葉を使わない

自分の脳の神経回路を通じて、世の中を見ている。

ネガティブな思考を繰り返す人は、ネガティブな回路に電気信号が行きやすくなってしまう。世の中の事象からネガティブなものばかりを取り出して感知する。ぐずぐず脳の持ち主は、自分に自信がないけれど、プライドは高いから失敗が怖い。そして失敗を恐れていると、脳にはブレーキがかかってしまい、結局うまくいかないからさらに「やっぱりね。世の中って、そんなもん」と神経回路に反映される。何か事が起こると、心配ごとが先に立ち、「でも」「だって」「どうせ」なんていうセリフを言いがち。

強制的に物事への対処法を前向きに考えるように仕向けるために、「でも」「だって」「どうせ」を禁句にする。そうすると、その状況下で最善を尽くそうとするようになる。

人の良いところを見つける

過去に「人をとやかく言った」その記憶が自分に返ってくる。

人をとやかく言ったことが、人を疑い、何かをやりたい気持ちに待ったをかけてしまう。人を裏切る人ほど猜疑心は強くなるし、人をないがしろにする人ほど自分はなめられていると考える。人の良いところを見ようと心がけると、自然と自分の良いところも見つけられるようになる。「人の良いところを見つける」ポジティブ回路へと変われば、自己肯定感が生まれてくる。

そして、思いは思っているだけでなく、言語化して、相手の反応をきちんと感じることが大切。ネガティブなフレーズが浮かんでくる前に、その人の良いところを見つけ言語化する。気持ちを口にするということは、右脳と左脳を連携させている脳梁を使って、イメージを出力すること。気の利いた言葉が出ないという人は、普段から自分の気持ちを言語化していないから。日頃から鍛えていれば、アイデアを出し気の利いた言葉を出せるようになる。

好きでたまらないものを持つ

人の目を気にすることによって、ぐずぐず脳ができ上がってしまう。

人の目を気にしているとき、右脳と左脳の連携は無駄に良い状態にある。右脳は潜在意識の領域を主に担当し、外界の様々な情報から世界観を構築する。左脳は顕在意識と直結して、言葉や記号、数字を司り、現実的な問題解決を行う。そして、脳梁が右脳と左脳を繋ぎ、右脳がつくり出すイメージを記号化して顕在意識に上げる。右脳と左脳の連携を良くすると、自分の気持ちや目の前の人の動揺などに敏感になる。例えば、母親は赤ちゃんのちょっとした変化も見逃さないよう、右脳と左脳を密に連携させて子育てする。ここで注意すべきは、必要以上に人の目や言動に過敏になって傷つきやすくなり、「失敗」を恐れるようになること。傷つくのが怖いから、とやかく言われないよう振る舞う結果、好奇心もやる気も発想力もなくなる。

人とコミュニケーションをとるときは、右左の脳が密度濃くかつ頻繁に連携している。他人の思惑を気にしているという意味においてSNSも同じ。この連携に電気信号を集中させてしまうので、脳全体を深く使うということができない。右脳が潜在意識の中で豊かな世界観を創生するには、ぼ~っとする時間が必要になる。右脳と左脳の連携を遮断して、脳全体に行き渡る信号を発することが大切。日常の人間関係の軋轢から離れて没頭することで脳が活性化する。

好きでたまらないものがある人は、客観性の回路が発達するから自意識が無駄に増大しない。自分にスポットライトを当てていると、失敗したときに自分が全否定されたように感じる。興味やプロフェッショナリティに焦点があれば、失敗したきに「こんなに頑張ったのに、認めてもらえない自分」という自己憐憫ではなく、「まだまだやれることがある」と思える。 例えば、「素敵なキャリアウーマンになりたい」「カッコいいビジネスパーソンになりたい」ではなく、「世界一の人工知能をつくりたい」「読者が泣いて喜ぶようないい本を出したい」のように思えたら。また、一つでいいから人に語れるものを持っていると、年齢も性別も超えて魅力を感じ興味を持ってもらえるようになる。

おわりに

小さい頃から言われてきたことだけど、改めて「早寝早起き」って、とても実用的なメソッドだなと。まず理論あって、それを実践できるよう明確かつ簡潔な言葉にまとめられている。

現状を変えたいのなら行動を変える必要がある。現状を整理して目指すべき対象を明確にして、そして実行有無を判断できる行動に落とし込み、それをひたすらに継続していく。例えば、こういうメソッドを実践していく。

メソッドを実践するということは、自分に制約をかけることとも言える。本来自由に過ごせる時間の中に、やるべきことを組み込む。窮屈なようにも見えるかもしれないけど、現状から変わりたいならこれしかない。例えば 22 時に寝ると決めてみる。 すると、一日の終わりが決まるわけで、そこに向かって行動一つ一つが見直されていく。終わりを決めなければ誘導されるがままに時間を過ごすことも許容してしまうけど、終わりが決まるとそこから逆算して物事を考えるようになる。長い目で見れば人生にも言えることか。きっとそれが「ぐずぐず脳をきっぱり治す」ことに繋がるんだろう。

「具体⇔抽象」に生きる

↑を読んで、自分なりに体系立てて整理してみました。

本書の目的としては、抽象化と具体化によって発想を豊かにし、またコミュニケーションギャップを解消することにあります。具体的には、具体と抽象の重要性(Why)、それらは何なのか(What)、具体的にどのように使うのか(How)について解説されています。

↑の説明を読んで気になった人は一読することをオススメします。

前提

心構え、また前提知識について。

正解の捉え方

「問題には正解があり、知識量のみが優劣を決める」という価値観から抜け出す。

知識伝授型の教育では、正解を持っている先生とそれを教わる生徒という構図が根本にある。そこで力を持つのは、正解を知っている知識豊富な指導者・教科書、文献になる。人生における基本的な知識や考え方を一通り学ぶ機会としては有効である一方、その弊害として上記の価値観が一生に渡って植え付けられてしまう。

身の回りの生活や仕事におけるほとんどの場面では、そもそも絶対的正解などなく、「これを解として先に進んでよいのだろうか?」という自問自答のみが存在する。様々な条件下において「最善だと思う選択肢」のみがあり、それをどこまで信じられるかどうか。

重要なのは、自分が下した意思決定について「全て正解」だと思えていること。

鍵となるのは「能動性」

自然な思考の流れと逆行するためには、意志の力が必要になる。

後述するように、物事は「川の上流→下流」のように「抽象→具体」の順番を辿る。具体的に考えるほうが楽で自然であり、抽象概念を操ることは意識しないとなかなか実践できない。

抽象レベルが高い事象になればなるほど理解できる人の数も少なくなる。例えば、高度な抽象化能力を要する数学を理解できる人は少ない。具体的にすればするほど、理解できる人の数は増える。一方で、多数派の人を相手にして「数を稼ぐ」必要があるマスメディアや、ページビューを稼ぐ必要のあるネット広告や記事などは「具体的でわかりやすく」することが求められる。

能動性が成否を決める世界では「残酷な二極化」が進展する。能動的か受動的かという姿勢は四六時中各個人の行動を決めるために、あっという間に大きな差がついていく。端的には、様々な仕組みに対して、「使う側」になるか「使われる側」になるかが決まっていく。ネットや動画をはじめとする「簡易な表現(構造が不明瞭な断片的な情報)」の普及によって、加速されつつある。

何故「抽象化と具体化」が大切なのか

いわゆる Why について。

より効率的に学ぶために

抽象化と具体化という形で発想することで、一から十を学ぶことができる。

知の発展は、2つの軸の相乗効果によって進んだ。具体的には、「知識や情報」による「量的」な拡大と、「具体と抽象」による「質的」な拡大。後者について具体的に言うと、「法則の発見」であり、また「言葉や数といった抽象概念の発展」を指す。抽象化によって生まれた概念を、再び具体化することで、どちらの方向性も拡大する。

具体の世界(「家は家」「ソフトウェアはソフトウェア」「洋服は洋服」)だけで考えるのではなく、抽象化と具体化を繰り返すことで、より多くのことを学ぶことができる。

例えば「持ち家か賃貸か?」について。単に「住む場所」の話ではなく、同じような構図の話が住居 以外 にもないか考える。この議論を「何かを購入して所有するのか、購入せずに都度払いにするのか?」という風に抽象化して考える。これはソフトウェアをパッケージで買うのか、月額払いのサブスクリプションで利用するのかの違いと「ほぼ同じ構図」であり、様々なメリット・デメリットが明らかになる。この「所有から利用へ」という流れをさらに抽象化すれば、経済学などで語られる「フローとスタック」という概念に繋げられる。ここで次は具体化として、社員を「サブスクリプションの商品」として捉えた場合、自身の価値を高めるのに必要な要素を、自分が顧客として使っている魅力的なサブスクリプションサービスから類推できる。また、この組織と人の関係性に関する問題を、友人知人や夫婦関係などにも適用していく、、。

偏りによる弊害に陥らないために

抽象病

具体化の側面が不足し、口だけでアクションに繋がっていないこと。

他人の行動、とりわけ失敗に対して一般的な理想論で批判・アドバイスする。ネットやSNSによって発信者が飛躍的に増えたことで、満たされない欲求の吐口として一気に増えた。

「抽象的目標」を立てるだけ。例えば、様々な目標設定において、このような組織では「〜の徹底」「〜の強化」「〜の最適化」のような言葉が多用される。何を以てそれらができたというのか、結果次第でいくらでもストーリーを作り上げることができる。

結果として、抽象レベルのみで展開される「抽象→抽象」という「机上の問題解決」しか出来ない。官僚主義的な組織でありがちな「顧客ニーズの把握ができていないので適宜迅速に対応策を強化していきたい」といったような「精神論」の域を出ない。

具体病

抽象化の側面が不足し、思考停止した状態のこと。

「ルールや線引き」に従うだけで一切の応用が利かない。一度ルールが設定されると、それを絶対的なものと信じて疑わず、環境の変化に適応出来ない。

言われたことを そのまま実行することしか出来ない。例えば、「部屋を片付けて」に対して「それはつまり『本は本棚に返して、お皿は食器棚に戻して、椅子と机は倉庫に返して、文房具は総務部に持っていって、飲み物は冷蔵庫に持っていって……』ということですか」と返して確認を取らないと実行できない。

結果として、「具体→具体」というように、抽象レベルがない「表面的な問題解決」しか出来ない。その背景、根本的な課題を追求しない状態で、問題解決を行おうとしている。例えば、顧客から「値段が高い」と言われたので値下げするといったような。前例があるからその通りにやるといった形で、過去の成功体験をそのまま当てはめることに囚われる。

抽象と具体について

いわゆる What について。

抽象化

対象物に付随する様々な特徴のうち、ある目的に合致した特徴のみを抜き出すこと。

抽象化の視点は複数あるが、重要なのは、必ず「その場の目的によって異なる」こと。

「目的」によって抽象化の方向性が決まるため、一つの具体から複数の抽象化の方向性が考えられる。例えば、一人のAさんという男性は様々な具体的な属性(性別、身長、体重、特技、趣味、国籍……)を持ってる。抽象化は一通りでなく、複数の切り口がある。例えば、洋服のサイズを選ぶ場面では「身長・体重という体形」での抽象化、入国審査や出国審査においては「国籍」での抽象化など。

また、抽象である程自由度が大きい。例えば、 「タンメンを食べに行こう」よりは、「ラーメンを食べに行こう」「中華料理を食べに行こう」「何か食事しに行こう」の順番でメニューの選択肢が増えていく。抽象化することによって、選択肢が増える。

具体化

抽象化によって定められた枠の中において、相違点を明確にして選択肢を絞り込んでいくこと。

重要なのは、「いかようにも解釈できる」という状態を回避させ、実践的であること。具体的には、「固有名詞」と「数字」に落とし込まれている。なので、例えば「規則正しい生活」は具体化されているとは言えず、実現性がないことを意味する。知識とはある意味で違いを明確にすることであり、それは物事を具体的かつ詳細に観察することで成り立つ。例えば、両生類と爬虫類の違いなど。

問題を解決するフェーズでは、変数を固定し、決められた変数をいかに最適化するかが重要になる。具体化するにあたって、情報量が重要な役割を占める。「抽象→具体」という下向きの矢印は発散、つまり情報量が増えていく。ここで必要なのは、抽象というインプットから具体レベルにつなげるための情報や知識の量になる。

また、具体である程自由度が小さい。例えば、「人」といえば 80 億近くの人という選択肢があるが、これを「女性」と具体化すれば約半数に絞られ、「日本人の女性」とすれば数千万人になり、最後には特定の人物に識別される。

具体⇔抽象を実践する

いわゆる How について。

「具体と抽象」という軸を持つ

そもそも「具体と抽象という視点を持てるかどうか」、そして「今行われていることがどこにマッピングされるか」を確認する。

問題発見すれば、その問題は解決したも同然なように、「具体化や抽象化ができるかどうか」の前提として、まず 認識する 必要がある。

例えば、総論賛成各論反対(客観的な一般論に対しての主観的かつ個別論からの反論)について。SNS 上でよく見られる、A「加害者の人権も認めるべきだ」B「お前は自分の家族が被害者でも同じことが言えるのか?」のような会話。他にも会社で言えば、本社と現場のコミュニケーションが上手くいかないケースなど。この「不毛な議論」に潜んでいる「根本的課題」は、具体と抽象のレベルの異なっているためにそもそも議論になっていない、そして、この状態に両者がきづいていないこと。はじめの「加害者の人権も認めるべきだ」というのは良くも悪くも一般論、つまり抽象度の高い話であり、これに対する「反論」の「お前は自分の家族が被害者でも同じことが言えるのか?」というのは、当然個別・具体的な話をしている。

前提として、他人のことは一般化して抽象レベルで捉える(他人にレッテルを貼る)が、自分のことは特別視して具体レベルで捉えてしまいがち。私たちはいとも簡単に、苦しんだり失敗したりした他人に対して「あるべき論(一般論・理想論)」をふりかざしてしまう。一方で、自分に対してそのような矛先が向いたときには、「自分のケースは特別だからあてはまらない」という言い訳を必要以上にしてしまう。他人とのコミュニケーションにおいて、「自分のことは一般化して考え、他人のことは個別かつ具体的な詳細までを考慮する」という逆のバイアスを意識する。

前提条件を明確にする

まず「違うものを見ていないか」、「どういう条件の下で」「どのような目的で」といった前提条件を確認するところから始める。

コミュニケーションギャップの根本原因は、私たち一人ひとりの経験や知識、あるいは思考回路が異なることによって、「違うものを見ていることに気づいていない」ことにある。

典型的な誤解が生じるパターンは「言葉の定義の違い」によるもの。言葉の定義を行わずに、「正しい」「間違い」の議論を始めるのは、そもそも議論になっていない。例えば、近年話題になることの多い AI に関する議論は、どこまでを AI と定義するかによって方向性が大きく変わる。特定の問題解決のみに焦点を当てたアルファ碁のような特化型 AI と、人間の知能の代替になるような汎用型 AI を想定しているのとでは、議論が全くかみ合わない。自分勝手に解釈をして、よくあるコミュニケーションギャップのパターンに陥る。

川の流れをイメージする

世の中の物事は時間の経過と共に、あたかも川の流れのように「川上から川下へ(抽象から具体へ)」と流れていく。

例えば、何かの報告書や提案書などの書類を作る場合には、概ね抽象度が高いところから徐々に具体的にしていく。まずはその報告書の目的ともいえる、対象者へのシンプルな「キーメッセージ」を確定させたのち、全体の骨格である構成や目次を決定する。次に、実際の内容である文章の作成を行い、最後に誤字脱字のチェックで終わるという全体の流れがある。

また、一人の人間の一生、誕生から死までについて。生まれたばかりの赤ん坊には「無限の可能性」があり、何者になるのか、また何を成し遂げるのかなど、可能性=自由度は限りなくある。それが成長し、教育を受けたり職業に就いたり家族を持ったりということによって、具体的な行動や成果が出てくる反面で、将来の可能性=自由度は良くも悪くも狭まっていく。

問題解決の流れを、川上から川下に向かっての抽象から具体への変換プロセスとして捉える。広義の問題解決は大きく二つ、「そもそも問題は何なのか?」という前半の問題発見と、「その問題をどうやって解決するか?」という後半の(狭義の)問題解決に分けられる。問題発見と問題解決では、向かう方向が、抽象化する「上向き」か、具体化する「下向き」」かという点で異なっている。問題発見に必要なのは、様々な具体的事象から本質的な課題を抽象化して抽出すること。問題解決に必要なのは、定められた枠組みの中で最適化を図ること。

アナロジー思考する

アナロジーとは日本語でいう「類推」で、「類似のものから推し量る」こと。

つまり、似ているものから新しいアイデアを得ること。それは、具体的な類似点ではなく、抽象度の高い類似点であること。例えば、「自動車の座席」と「年末に配られるカレンダー」の共通点は? 共通点探しのヒントとしては、「特殊性が高い」(一般性が低い)ほうに着目して、その共通点が他の一方にも当てはまらないかをチェックしてみる。この場合で言えば、「年末に配られる」というより限定的なワードの入っている後者から考える。「実は使われていないもの」という共通点に着目していくと、様々な社会問題の仮説が浮かんでくる。身の回りで何らかの「構造」を一つ捉えると、ありとあらゆる分野にそれが応用可能になる。

その際に「抽象化のゆがみ」に気を付ける。「複数の事象をまとめて扱える代わりに、個別事象の特殊性を一切無視する」ことにより生じることがある。自分に都合の良い性質だけを取り出して解釈してしまうことがある。誰かの意見に対して「それはことの本質ではない」という発言は、単に認知バイアスが働いていて、自分にとって都合の良いことを前提に意見を言っている可能性がある。あくまでも特定の領域(観点)で思考していることを認識しておく。

終わりに

いわゆる汎用的な物事の考えた、原理原則を学ぶ本でした。抽象に複数の具体が紐づくイメージはあったのですが、具体に複数の抽象が紐づく(抽象化はその目的によって異なる)という説明は新鮮でした。抽象と具体という視点を駆使することによって、一から十を学んでいきたいですね。

「なぜエンジニアは文章が下手なのか」を読んで

gihyo.jp

↑に収録されている「なぜエンジニアは文章が下手なのか(以降、該当記事)」を読んで大切だなと思ったことを、自分の理解を織り交ぜながら整理したメモです。

文章を上手になった方がいい理由

自分の知識や技術力を最大限に活かすためです。

システムを企画/設計/実装/運用していくためには様々な文章を書く必要があります。システム自体はプログラムで動きますが、そのシステムを使う人間を動かすためには文章が必要になります。

誰しも一度は他エンジニアが書いた文章をわかりにくい、と感じたことがあるのではないでしょうか?

「文章が下手」について考える

「文章が下手」とは具体的にどういうことなのでしょうか?

該当記事では、文章力(文章の表現技術)と「異文化コミュニケーションの問題」を挙げています。後者の問題は、文章に限ったことではなく、人対人のコミュニケーション全般に対して言えることであり、文章力以前の課題として位置付けられています。なので、本記事ではより重量な後者について説明します。

具体的には、以下が紹介されています。

  • 知識のギャップ
  • 目的のギャップ
  • 責任転嫁の誘惑

それぞれ見ていきましょう。

知識のギャップ

読み手が知らないことを知っている前提で書くことを指します。

典型的なのは、読者が知らない専門用語を使ってしまうケースです。例えば、エンジニアにとっては日常用語であっても、ユーザにとってはそうではないことが挙げられます(逆も然り)。専門用語に加えて、一般的な用語を特定の世界(業界や企業、部署など)では特別な意味で使っているケースもあります。

目的のギャップ

読み手の目的を認識していないことを指します。

例えば、経営層にツール導入の打診することをイメージしてみましょう。その場合、相手の関心は「社内の適切な業務環境をコスト低く維持すること」である場合が多いです。いくらそのツールの機能(技術的な細部)を説明しても、経営層が判断するための情報を提示しないと意味がありません。

責任転嫁の誘惑

読み手が一方的に「書き手の問題」として捉えることを指します。

例えば、エンジニアとユーザについて考えてみましょう。両者には、IT知識と業務知識のギャップが存在します。その知識ギャップによって起こるわかりづらさに対して、「この説明文を理解できないのは、前提知識がなくてもわかるように書かれていないから」つまり「自分は悪くない、相手が悪い」と捉えてしまうと、問題は一向に解決しません。理想としては、お互いの知識ギャップを埋めるために、意思疎通を図る必要があります。

文章を使わない

もう一つ文章力以外の観点で気を付けることがあります。

それはそもそも文章で表現するべき内容なのか?ということです。

システムを企画/設計/実装/運用していくためには様々な文章を書く必要があります。システム自体はプログラムで動きますが、そのシステムを使う人間を動かすためには文章が必要になります。

冒頭で上記のように書きました。実は該当記事では「文章」ではなく「文書」と書かれています。「文章」と「文書」の違いは何なのでしょうか?

該当記事では、以下のように説明されています。

  • 文章:文字だけで書かれている
  • 文書:文章に加えて図表を含めて書く

つまり、ある内容を図表で表現するか検討する余地があるということです。全てを文章で表現しなければならないわけではありません。

文章と文書の違いは単純なものですが、適切に使いこなせていますか? 無意識のうちに文章だけで書いてしまっているケースが多いのではないでしょうか?

基本的に「枝分かれのある情報」を「文章」で表現するのは不向きです。複雑な概念や仕組みであれば尚更です。その論理構造に応じて、表現手段を使い分ける必要があります。

実践する内容について整理する

ここまで挙がってきた問題点への対応を整理すると、以下になります。

イメージ図

今回対象としている部分を赤枠で囲みました。

それぞれ詳しく見ていきましょう。

双方の成長を促すための基本姿勢を示す

この問題において大事なのは「相手のことを理解しようとする姿勢」になります。

具体的には、2つのメッセージを送る必要があります。第1のメッセージとして「私はあなたの世界のことをよく知りたいと願い、行動してます」と送ります。その結果、相手は「この人は私たちのことをわかってくれる、少なくともわかろうとしてくれる人だ」と認識します。その上で、第2のメッセージとして「こちらの世界のことをも知ってください、役に立ちますよ」を送ります。

前提として「外の人間」と思っているため、自分の理解力のなさを棚に上げて責任転嫁という発想をするようになります。上記ができると、相手は自分にとって「仲間」になります。「仲間」は自分ができないことをやってくれる貴重な存在であり、責任転嫁の対象ではなくなります。

「誰が何のために読むものか?」を考える

誰が読むのかに応じて、その人の関心事(目的)を考え、それに応えるような情報を含めます。

具体例を挙げてみます。

  • 仮にIT予算の増加に悩んでいる経営層向けであれば、ツールによりIT予算に対してどのようなインパクトがあるのか
  • 機器故障によるダウンタイムに悩んでいる運用管理者向けであれば、ツールによりシステム全体の可用性にどのようなインパクトがあるのか

では、具体的にどのようなことを意識すればいいのでしょうか?

該当記事で紹介されているのは、機能(function)と利益(benefit)を区別することです。

意識するべき型は、「サービス対象機能をもたらし、その結果ユーザに利益をもたらす」という関係です。 例えば、「サーバ性能計測ツール(サービス)がサーバ(ターゲット)に性能の数値化(機能)をもたらし、将来の性能変化を精度良く予測できることで、サーバの増強計画を精度良く立案でき、結果コストダウン(利益)をもたらします。

エンジニアは「機能がどのような仕組みで成り立つのか」という機能をより深く掘り下げる方に意識が向きがちです。一方で、ユーザ側の人間に対しては、「利益から話をすると通じやすい」のです。

また、目的の違う複数の読者を想定する場合は、文書の構成を把握しやすいように見出しをつけます。そうすることで。読み手が自分の関心のある部分を素早く見つけられるようになります。複数の意味合いが混ざっている場合にはそれらを分離して明記しておくべきです。例えば、見出しの組み合わせとしては「機能」と「利益」、「操作」「意味」などです。

使う用語を注意深く選択する

用語リストを作る方法が紹介されています。

まずテーマを決めたら、そのテーマを説明するために必要な用語のリストを作ります。その用語について、想定する読者が知っていそうかをチェックします。用語リストを作って「この用語はあの人に通じるかな?」と考えていきます(実際に想定する読み手に確認できる場合はそうしましょう)。

その用語の解説が必要なのか、そもそも用語の見直しが必要なのか確認してきます。相手が目的を達成するために必要な情報は何か、という視点で考え直します。厳密な用語ではなくても適切な用語を選べることがあります。

次に、用語を使う適切な順番を考えます。自分の知らない用語が説明されない状態で、話が進行していくと「この用語の意味は何だろう」と不安を抱えたまま先を読むことになり、理解を妨げてしまいます。不安を感じながら読む区間が長いほど読み手の負担は大きくなります。そうしたことを避けるために、適切な順番で説明をしていきましょう。

また、専門用語の解説が必要である場合には、脚注に外出しすることを検討します。解説説明を入れながら主文を書いていると、どうしても本題の趣旨が把握しづらくなります。重要なのは「主文が大事で、脚注は必要に応じて読めばいい」ということを表現してあげることです。

適切な表現手段を使う

文章を書き始める前に、まず伝えたい情報を整理分析し、論理構造を見極めて、最も適切な形で表現しましょう。

では、具体的に何をすれば良いのでしょうか?

ここでは「既存の文章を図解していくこと」を想定して説明していきます。

次に大まかな流れのイメージを載せます。

イメージ図

整列というのは、簡単に言うと「ストーリーを作ること」です。人間はストーリーがあると内容を理解しやすいです。文章の場合そのストーリーが曖昧になっている(把握しづらい)ケースがあるため、自然なストーリーになるよう整列します。

ラベリングは、分類した情報に見出しを付けることです。自分の経験上、「ラベリング」は「分類」の時点で済んでしまうことが多い印象なのですが、該当記事の内容に沿っています。

何となくイメージできたでしょうか?

例えば、情報セキュリティの概念について図解してみましょう。

機密性 機密性(Confidentiality)とは、許可された者だけが情報にアクセスできるようにすることです。許可されていない利用者は、コンピュータやデータベースにアクセスすることができないようにしたり、データを閲覧することはできるが書き換えることはできないようにしたりします。

完全性 完全性(Integrity)とは、保有する情報が正確であり、完全である状態を保持することです。情報が不正に改ざんされたり、破壊されたりしないことを指します。

可用性 可用性(Availability)とは、許可された者が必要なときにいつでも情報にアクセスできるようにすることです。つまり、可用性を維持するということは、情報を提供するサービスが常に動作するということを表します。

この流れはあくまで自分の理解です(皆さんもぜひやってみてください)。

分解では、それぞれの概念を個別に分けて考えます。

分類では、各概念において力点が置かれているキーワードを挙げてみます。機密性は「利用者」、完全性は「保有する情報」、可用性は「アクセス」に関する内容であることがわかります。

整列では、上記のキーワードを一直線に並べるとしたらどういう順番が適切か考えます。自然に理解できる並びとしては、「利用者」が「保有する情報」に「アクセス」する流れが考えられます。

ラベリングでは、上述のキーワードが出ているため、特に不要な理解です。

結果としては、次の図が出来上がるイメージです。

イメージ図

文章で説明されるよりも理解しやすいですね。

その他ノウハウ

書籍・雑誌、ブログなどの執筆経験豊富なエンジニアからのノウハウが紹介されていました。ここまで対象としていた文書とは少し違う印象を受けましたが、文書であることに変わりはないので役に立ちそうです。印象に残っているものを紹介します。

プログラミングとの共通点

プログラミングと文章を書くことには、いくつかの共通点があります。

これらを意識することで、両スキル向上の相乗効果が期待できます。また、文章を書くことに対する認識が改まって、モチベーション向上にも繋がると思います。

読みやすさ

まず成果物について共通点があります。

読みやすさによって、その価値が大きく変わってきます。わかりにくく伝わりにくい文章が好まれないのと同様に、見通しが悪く何をやっているのか理解しにくいコードは、読んでいる人を不快にさせ、バグの温床となります。

作業過程

その作業過程にも共通点があります。

一度動作するようになったコードをリファクタリングしていくのは楽しい作業です。一方、完成に程遠い状態で細かなリファクタリングばかりしていると、いつまでも仕事が終わらないように思えてストレスを感じます。文章も同じことが言えます。一通り文章を書き終え、読み手の立場になって推敲していくのは楽しいことです。一方、まだ全体の一部しか書けていないのに細かい表現を直して読み返してを繰り返していると、同じようにストレスを感じます。

また、自分の思考過程を目に見える形へ落とし込みながら、物事を考えていく点も同じです。脳の短期記憶だけではアイデアがすぐ揮発してしまうところを、自分が考えたことをテキストとして外部に永続化し、それを足がかりにまた次の思考を始めます。漠然としかイメージできなかった文章の構成が、書いているうちに少しずつ見えてくる、という経験は誰しもあるのではないでしょうか?

スキル向上

上手になるための過程も共通点があります。

プログラミングにおけるテクニック(例. デザパタ)は、実際に使いながらその使い所を学んでいきます。文章についても同じことが言えます。構成の仕方であったり、用語の使い方は、実際に文章を書く中でその使い方を身に付けていきます。

良い文章を書くためには、ただ漠然と書くのではなく、良い文章を書くことを意識することが大切です。「良い文章とは何か」を具体的にした上で取り組みます。例えば「読み手の思考を邪魔しない論旨が明確な文章」などテーマを決めてみましょう。

そして、より多くの文章を書くことに尽きます(そして可能であればレビューしてもらいましょう)。プログラミングと同じように、文章も書くことで慣れて、短い時間でスラスラ書けるようになっていきます。

文章を書くときのステップ

ブログなどの記事を書くときのステップとして、以下が紹介されていました。

  1. テーマ決め
    1. まずは書きたいテーマについて決めます
  2. 思いつくことのリストアップ
    1. テーマに関連することを、思いつくだけ洗い出します
  3. 全体の構成を決める
    1. 思いついたことをどのような構成で書くかを考えます
  4. とりあえず終わりまで書く
    1. 細かい表現は後で見直すことにして、まずは終わりまで文章を書き上げます
  5. 推敲
    1. とりあえず文章が出来上がった後は、細かい表現や構成・分量の調整を行います

自分は何かしら記事を書くときには、上記のステップに倣っています。

特に、大事だなと思っているのは「とりあえず終わりまで書く」です。頭の中で思考を巡らしているだけであったり、細かい部分に目を奪われていると、あっという間に時間が過ぎていきます。とりあえず手を動かして記事を書き切ると(眠くならない笑)、目に見える形で成果物ができます。それさえできれば、その内容をベースにして、思い描いていたイメージとのギャップが確認できるし、進捗が実感できるのでモチベーション維持にも繋がります。

終わりに

実はこの本は新卒1,2年目の時に上司から読むよう勧められたものでした。たまに読み返すことはあったけれど、当時はその真意を理解できていなかったように思います。今もその余地はあると思うけれど、大分整理できた実感があるので実践していきたいです。