tommy_0’s blog

自己紹介

自分の脳を躾ける

一時期サウナにハマっている時期があって、サ道というマンガを読んでいた。

その作者が似たような表紙で別マンガを出していて、試しに読んでみたら

とてもためになる内容だったので、印象に残っている部分を整理してみた。

自分の脳を躾ける

本書で一貫しているテーマは「自分の脳を躾ける」ということだ。

最新の認知科学の分野では、意識は自分の中心にないと言われているらしい。私たちの行動は意識が先にあるわけではなく、脳の判断が先にあるらしい。意識的に何かをしたと思ってもそれは錯覚で、全ては脳(無意識)が動かしている。自由意志はなくて、全て脳の自動操作によるものであり、脳は色んな情報をかき集め、意識下で何かを決定している。

脳は気持ちのいい方、つまり報酬のある行動を求める。ある行動、例えば早起きで考えてみよう。早起きが習慣化されて、「早起き=気持ちがいい」という脳の神経ができ上がれば、脳はその快感物質が欲しくて、また私たちに早起きさせる。

本書では、いくつかのメソッドが紹介されている。その根底にあるのはこの報酬・行動の仕組みであり、この仕組みを作っていくことを「自分の脳を躾ける」と表現している(と思う)。脳は報酬を得るために自然と行動するようになる。意志の力に頼らず物事が進んでゆく。

自分の頭で考えて、自分の脳を躾けよう。

快適さを求めて

「快適な一日を過ごしたい」

著者は人生において「快適さ」を求めて試行錯誤してきたと言う。快適とは「無理をせず我慢をせず適度に心地よく生きていくこと」を意味する。

与えられた人生で、どれだけ途切れなく気持ちのいい時間を作り出せるか?健康が大事それは前提として、創作の意欲も大切だ、気分が優れないと当然筆は進まない。どうすればいつも機嫌よく創作に没頭できるか?

いつも適度に仕事があって、マイペースで仕事ができて、余裕を持っていい感じに暮らしていきたい。締め切りに追われるような忙しいマンガ家にはなりたくない。快適に創作できる条件、心構えとは?やりたくないがどうしても引き受けなければならない仕事や義理、依頼を受けるか断るか、長い目で見て、どちらが快適か?迷いながら試行錯誤してきた。

著者はマンガ家としてデビューして35年を生き長らえてきた。締め切りに追われていない、仕事が全くなくなるわけでもない。悲劇の沼にはまり、心を病んで消えていった仲間もいた。運も良かったのだろうし、周りの人にも支えられたのだろうと思う。

長年快適を志す修行をしてきたとも言える。その結果として、快適術のようなものを身につけ、日常生活や仕事の中で細かな快適スキルを応用し実践している。どこまでも快適さを求めて辿り着いたのが、本書で紹介されているルーティンだ。

ルーティン

一言で言えば、朝型の生活だ。

大まか流れとしては、朝4時に起床、昼までタスク、午後からはサウナへ行き仲間と会話して、夕方には帰宅し、21時には寝る。

朝窓を開けると、虫や鳥の鳴き声、気温、湿度、風、季節の香り、朝には五感の喜びがある。

顔を洗い、コーヒーを淹れる。

その間に部屋の床を簡単に拭き掃除、植物に水をやり、パソコンの前に座って、今日やるべきことを確認する。

夜が明けてくる、日の出を拝んでから、好きな音楽をかけてコーヒーをいただく。

朝はエネルギーに満ちて、爽やかな気分、このひとときが気持ち良い。

徐々に仕事モードに移り、起床1時間後にはガシガシと原稿を描く。ここから2,3時間が1日のうちで一番仕事が捗る時間(特に起きてからの2時間は集中力が高まる時間=脳のゴールデンタイム)になる。

適度に休みをとりながら昼まで仕事をする。

やるべきことをやったあとは気持ちはスッキリしている。するべきことを全てこなせた達成感、自分で決めたことを守れた自己肯定感。

心が安定していれば仕事も捗る。以前の夜型の生活と比較して、仕事の効率が格段に上がったのを実感している。

毎日これの繰り返し。

時間管理を徹底する

若かりし頃は、やる気に支配されていた。創作意欲ややる気がないからと後回しにした結果、ツケが回って一気に作業して疲弊する。そして、また次の創作意欲が回復するまで休憩して待つ。やる気というものはどこからやって来て、どこへ行くのだろう。掴み損ねると大変な目に遭ってしまう(誰しも課題を土壇場になって片付けた経験があるのでは?)。その頃の私は、創作というものはやる気や意欲を持って立ち向かうものだと思っていた。

今はそんなふうには思わない。創作はやる気や意欲に振り回されるものではない。そんなものがなくたって創作はできるし、余裕のある余暇も作ることができる。やる気があろうがなかろうが、やるべきことはやらないといけない。根性で乗り切るしかないというのは古い考え方で、習慣化に任せてしまう。毎朝歯を磨くように自動運転させる。

やる気はとりあえず無視して意欲があろうがなかろうが、時間を決めて時計仕掛けの人形のようにやり始める。やり始めてしまえば後からやる気のようなものが湧いてくる。やってみる→後からやる気がついてくる、作業興奮という脳の仕組みがあるらしい。

1日にやるべきことはたくさんある。やる気に任せて思いついた順にやっていると、1日があっという間に終わってしまう。それまでやる気や意欲を利用して行ってきた作業を、時間管理の作業に切り替える。やるべきことを全部書き出して、予めやり始める時間と作業イメージを決めて、少し余裕を持った1日のメニューを作る。気分に任せず、とにかく時間管理を徹底する。

そしてこまめに休む。2,30分に1回は席を立ってストレッチ・軽い運動をすると、血が巡って脳に酸素供給、気持ちをリセットするとまた新しい気持ちになって作業が始められる。ノってきたところだけど時間が来たから切り替える。この作業終わらせたいけど、時間が来たから次のタスクへ。ついつい没頭して時間をオーバーしてもやってしまうと、その後のタスクに影響してしまう。

創作の継続や達成などの成果は、やる気や根性でなくて、時間に支配されて、ただやり始める毎日の積み重ねによって実現される。ただいつも通りやるべきタスクを静かに淡々とこなす。習慣化されると毎日がブレない、コンスタントな創作で成果物は確実に蓄積される。そしてちゃんと締め切りに間に合う。やり終わったという達成感で報酬系が刺激され、脳はさらにそれを繰り返そうとする。

世界を定点観測する

同じ毎日なんて、やがて新鮮味を失い窮屈に感じる、ということはない。

自分を固定すれば、周囲の目まぐるしい変化に気づく。毎日同じような日々を過ごすことによって、これまで気づかなかった世界が広がってゆく。起きる時間を固定すると、例えば、日の出の時間が毎日少しずつずれて、外では新芽が展開し、気温・湿度ともに変化していくのがわかる。人生でこれほど季節の移ろいを感じたことはない、環境の目眩く変化に気づいた。

時間管理の適切さ、折目正しい時間管理の1日、実は自然がそうなのだった。例えば、桜の開花予想ができるのは、桜が気温によるある一定の開花メカニズムを持っているから。寒い季節でも桜は来年咲く花便の準備をしている。自然はランダムに見せかけて、意外ときっちりとした時間感覚を持っている。

毎日をルーティン化すると、体調の変化もよくわかる。例えば、なんかだるいのは、いつもより遅い時間に食べたからだなとか。

自分を固定した方が世界の変化がよくわかり、生活の実感がある。それはまるで定点観測をしているかのようだ。目に見える変化を感じる、これこそ変化のある毎日とも言える。

「やっていれば上手くなる」の法則

私たちにはやっていれば上手くなるという仕組みが備わっている。人間の成長に必要な能力のことである。差こそあれ大方のことはやっていれば、やり続けていればできるようになる。最初は乗れなかった自転車に、練習を重ねることで乗れるようになる。上手くなれば気持ちいいし、達成感もある。

スポーツやデザインもできるようになったものは、なんとなく最初からできるイメージを持っていた。ギターはある程度弾けるイメージを持っていて、実際にそうなった(逆に仕事にできるイメージは持っていなかった)。イメージが大切らしい。

例えば、人生いちどは本物のオーロラを見たいと思う。いつかはオーロラを見てみたい、そんな素朴な願いを叶えるために、「イメージすること」が重要である。願うだけではダメで、もっと具体的にアプローチする。どうすれば見れるのか、どこへ行けば見れるのか、費用はどのくらいかかるのか。具体的にしていく、積極的に自分から動く、まずは調べること、少ない時間でもいいから。その取り組みの積み重ねが無意識に刷り込まれて、オーロラに関する情報をキャッチしやすいように脳を躾けていく。躾けられた脳は街に溢れる数多の情報から、オーロラに関する情報、例えば格安チケットの情報を見つけ出すかもしれない。脳は注意を払うものに対して、フォーカスする働きがある。脳の力を活かすには、願いを「曖昧なまま」泳がせておくのは勿体無い、具体的にすること。毎日少しだけでも自分の素朴な願い、望むべき未来を「具体的」にすることが大事。

やり続けていることは結果に現れる。できるようになったらいいなあと思いながら、ただただ毎日やり続けたことだけができるようになった。きっとそれがこの世の中の仕組みだ。あらゆる専門の人間はただただやり続けた人たちであり、それが世界のヒーローになったり、国の宝になったりする。困難を乗り越えてできるようになった喜びはひとしおだろう。好きなことをする、できるようにする、それが人生というものに向かい合う尊い人の姿ではないだろうか。

終わりに

規則正しさは直観的には「自由」と結びつきにくい。決まった時間に寝て起きるより、眠くなったら寝ればいい、お腹が減ったら好きなだけ食べればいい。そんな気ままな暮らしが「自由」な気がしてしまう。けれど、ここまでの話を踏まえると、自らをもって由とする、自分で行動を決めるのが「自由」と捉えられるのではないだろうか。決めた行動は続けるうちに習慣となり、やればやるほど淡々とできるようになっていく。そんな最中にふと、本当にこれでいいのか?と自身に問うことがあった時は、自分の未来を自分で切り拓き創造している、そんな人生の手応えを再認識して日々をやっていこう。